sexta-feira, 29 de junho de 2012

八戸 Family!!!


再び、ここに!  
八戸に関する話題を飛ばして投稿したのは、ここでの出来事は特別な人たちのことなので落ち着いて書きたかったからなのだ。 だから秋田への冒険に旅立つまえに、今、八戸でのことを書いておこうと思う。  

2011年の9月、私の友達でもあり、私のように日本中を訪ねて演奏して、友達を作っているみうらぉん(三浦しゅんいち)が、北海道でふたつ、八戸でひと つのライブを行うことになり、私を呼んでくれた。彼は2008年に、ハバダス・シネマ・クラブのイヴェントのとき、八戸の人たちと知り合っている。このイヴェントは、私や多くの大切な友人たち(ホベルト・マックスウェル、畠パメラ、木村サーラ、末永晶子、伊藤節子、平本明日美、パウリーニ、メナンドロ、アドリアーナ、エドウェイニ)が浅草にあるシュハスコ・レストラン「キ・ボン」で企画・運営したものだった。
初めてzodiacであった! The Rabadas, 2008.



 そして、以下のようになった。カウチサーフィンを通して、9月と2月に、イギリス人のジョー・ラトフォードの家に泊まった。ジョーは、私が北海道に行っている間に車まで置かせてくれた。彼の趣味であるスノーボードの為に、毎週末に朝早く凍った八甲田山に向かうと聞いて、私は驚いた。  

Rádio Praça Ooh-La, 八戸で2回参加しました!ありがとうございました!!   


タクシ・ヨシカワ(吉川拓志)は、八戸の「そーるぶらんちカフェ」の主でもあり、ゾディアック・ノヴァ・ポップ・マシーン&コンテンポラリー・システムと いうバンドのヴォーカリスト兼ギタリストも務めている。彼らの音楽にはいろんなスタイルの音楽が混ざっているけれど、日本のバンドであることを決して忘れてはいない。  

  彼と奥さんのみっつぁん(三絵)は、ちょうど2月に家の引越しがあったため私を泊められなかったことを申し訳ないと思い、いろいろと親切にしてくれた。
 ブラジルのCafezinho... ;)


ミッチャンが 仮設住宅の人たちに八戸のおいしいせんべい送りました

 タくちゃんと私の三味線でブラジル音楽とか遊び!!
 毎朝レコード来てた!いいな。。。。
お茶タイム!
「おきな」という、とても美味しい蕎麦屋さんにも連れて行ってくれた。「おきな」はみっつぁんの実家でもあり、100年以上の歴史がある老舗だ。そしてここで、素晴らしい 人々を紹介してもらい、彼らが忙しいときは、その人たちが私のことをかまってくれた。彼らの親切は私に、八戸に何度でも帰って来たいと思わせた。  
私はこの旅を、ずっと夏用のタイヤでやり過ごしていた。雪の中を運転したときも、初心者にしては運よく事が運んだ。でも、多くの人をとても心配させていた。  

2月23日に、仙台に向けて八戸を出発した。目的地に到着した後、心配していたタクちゃんに電話をして、彼を落ち着かせた。彼は私のために、ブルーズをプレゼントしてくれると言って、電話を切ったあと、2時間しないうちにファイルを送ってくれた。  


私は、そんなにも彼らを心配させていたんだと気づき、罪悪感を感じ、泣いてしまった。   私たちは何日もの間、音楽やそのほかのアートについて語り合った。彼が紹介してくれたアリカタ・クボは「そーるぶらんちカフェ」でのライブの音響を担当し てくれただけでなく、夢のような音響設備を持っている南郷のホールで開催されたライブに、ゾディアックや歌手のココと一緒に歌えるように、取り計らってくれた。
 

ゾディアックでパーカッションを担当しているYAM(山内雅一)は、パワフルで、とても人柄がよくて、なんでもテキパキとこなす人だ。彼は、福島の原子力事故が起きるずっと前から、青森で、反核・脱原発の運動を真剣に続けている。  

「そーるぶらんちカフェ」のトモエ・タムラは、民俗芸能の「えんぶり」の開会式に私を連れて行ってくれた。八戸の一番寒い時期に行われ、その年の豊作を願い、春を迎えるためのお祭りだ。    ナタリー・クルケンバーグはブラジルにとても興味を持っているアメリカ人で、カポエイラがとても上手だ。一緒に、八戸で行われたフェスティバルやいろんな展示会を見て、とても楽しい午後を一緒に過ごした。 

  
 田舎で暮らしている人たちというのは質素で面白みがないと思われることがしばしばあるようだけれど、彼らは、真反対だ。自分の時間をとても有用に使い、充実した人生を送りながら成長し続けているのだ。   最終的に、大勢の人と出会い、多くの幸せをもらって、2月に旅立った時は、とてもとてつもないパワーをもらった。もし私が私の道程をどこかで踏み外してしまうことがあったとしても、戻ってきて、心を暖める場所がいつでもここにあるんだ、という思いを握りしめながら、出発した。  


(幸いなことに)何も問題もなかったけれど、私はホベルトと一緒にまた八戸に戻ることにした。私は家に、たくさんのヴィニール盤のLPレコードを持っていたけれど、タクもまた、たくさんのLPを持っていて、いつもそれを聴いている。私はレコードを彼のところに持って行って、必要になったら、ここへ来たときに返してくれればいいからということで、預かってもらうことにした。だから八戸へ向かうとき、ブラジル音楽、ジャズ、日本の音楽など、30キロのレコード を、送らずに一緒に持っていった。私たちは夜明けまで、それらのレコードについて語り合った。


 限られた3日間という時間を利用して、私たちはタクが作曲したサンシャ・マツリという曲を録音した。とてもカッコいい日本の音楽のなかに、ちょこちょこっとボッサの要素を入れた。ホベルトは何時間も私たちを撮影して、監督になってくれた。  こうした経験があって、次のプロジェクトでは、タクやYAMにプロデュースしてもらって、とても素敵な八戸の人たちと一緒に、音楽を録音したいという思いが、私の中で大きくなっていった。
 えんぶり祭り!!さむかった!!!すばらしかった!!!
x
 ししまい


Tomoe, Shi, Nathalie!




YAM さん!!仙人。。。;)


 Kuboさん、すごくいい音!!
 Roberto さん、三社祭のビデオ

 終わりでおきなでたべました!!ごちそさまでした!


8月には、私達の歌の原点となった三社祭に参加する予定だ。、  ありがとう、八戸!ありがとう、八戸のみんな!

terça-feira, 24 de abril de 2012

SUZUKIさんしてますか?






新しく始めた旅では、いつでもインターネットが使えるツールが共にあるので、新しい情報がたくさん入るようになった。全てが最高だ。

当初、このブログは、時勢に沿って順に出来事を紹介していこうと思っていたのだけど、実際には、次から次へといろいろな事件が起きる。だから制約を外して、感情を抑えないで、思ったことをその時々に伝えることにしようと思う。でももし、その方法がよくないと思ったら私に連絡してね!

以前の投稿を見てもらえばわかるように、私とホベルトは東京から宮城県の仙台、そして青森県の八戸まで行った。一週間、私たちは、共に良き相棒だった。すべての瞬間を確認し合いながら過ごし、私たちの青春時代の古い歌を思い出しては歌い、旅の途中に出くわした危険なことも、ふたりで分け合った。ホベルトは宮城県の唐桑町にある、鮪立(しびたち)という小さな村に私を連れて行った。そこで、鈴木さんご夫婦に出会う機会があった。彼らは、おそらく60年代に建てられたであろう独特な家に暮らしていて、どちらかといえば昔ながらのライフスタイルを維持している。そして、この彼らのスタイルや習慣は、この地区の、3月11日の地震によって起きた水や電気のない苦しい日々を助けた。


家は2階建てでとても居心地が良く、プライヴェートな場所と公共スペースとに分かれている。居間は、畳が敷いてあり、壁の色は暗めだけど、自分たちを包み込んでくれるような居心地のよさがある。壁は、古い日本の民藝品でいっぱいだった。

外から中が見えるようになっている、大きな木箱がひとつ、床に置かれてあった。鍵はそれぞれバナナくらいの大きさで、箱には、家の中のどの鍵なのかがわかるように記された表板が立てられていた。この箱は家族にとって鍵の置き場所なのだ。

居間の片側はすべてガラス窓の引き戸になっていて、中から、美しい庭が見えるようになっている。家族の猫が外を眺めながら、ゆったりとした時を過ごしていた。


100年以上の歴史を持つ鈴木さんの家では、地震と、続いて津波がやって来た後に、1階にある離れ部屋に大きな釜を設置した。釜というのは鉄で出来た大きな鍋で、薪で温め、水は山から汲んでくる。離れ部屋は、かつては鈴木さんの家族にとって、酒や味噌--大豆をペースト状に練ったもの--を作る作業部屋だった。酒や味噌を寝かしておく樽は、今は使われてはいない。でも鈴木さんは、毎日釜には火をかけるんだよ、と誇らしげに言った。


津波は家のすぐ近くまで来たものの、鈴木さんの家は、被害から免れることが出来た。だから、釜はご近所のためにとても役にたっている。大きな釜のおかげでコミュニティの人々は、お湯でお風呂に入ったり調理をすることが出来た。今回の悲劇だけでなく、それ以外にも2度の悲劇を乗り越えてきた。鈴木さんは、釜を分け合うということは単に人々を助けるというだけでなはなくて、この鮪立を作り、代々続いてきた自分の一族に対しても名誉なことであると語った。


この親切な夫婦に出会えてことは最高の出来事だった。ホベルトは、もう1人の友人であるイヴァーナ・フィゲレードに紹介されて、以前、ここを訪ねたことがあった。そのイヴァーナは私に、鈴木さん夫婦に泊めてもらうお礼に音楽を奏でてあげてね、と言っていた。もちろん! 喜んで! 囲炉裏を囲んで、とても居心地のいいひとときを過ごした。お茶やコーヒーを飲みながら、お話したり、歌ったりして、音楽や、鈴木さんの家族についての話を聞いた。これは
わたしたちにとって、大いなるリスペクトと共に、大切にしまっておきたいと思える瞬間だった。


話は弾んで、時間は飛ぶように過ぎていった。気がついたときにはもう夜で、この後私たちには、岩手県の県庁所在地である盛岡までの3時間の旅が控えていた。そして山道の街道で、深い雪の中、はじめて車のコントロールを失うアクシデントに見舞われた。正直、ホベルトと一緒で、助かった。2月にもこのような雪の中で運転をしたけれど、今回みたいな状況にはならなかった。上り坂で、車は反対車線に入ってしまい、元の車線に戻ることが出来なかった。VIDEO SUZUKI SANhttp://www.youtube.com/watch?v=4LWDAo3RI4Y&context=C41c0e2aADvjVQa1PpcFMfg6XHvgX72D6VPJScNbY6fNyzRFCtLCw=

やっとの思いで車を元の道に戻した私たちは、車を停めた。上り坂でこんな状態だったら、下り坂では車はもっと滑るに決まってる!一分も過ぎないうちに、向こう側から来た車が止まって、助け船を出してくれた。彼らの情報によると、この先の下り坂はそんなにきつくなく、ほとんどたいらだという。彼らは車を押すのを手伝ってくれた。ここから先は、すべて順調だった。車が動き出すと私たちはそのまま出発しなければならなかったので、車を押してくれたふたりの男性にお礼が言えなかった。盛岡に着いてから、私たちは彼らに乾杯した。

sábado, 7 de abril de 2012

ゆかいな仲間たち

<ゆかいな仲間たち>

前回の原稿で、アキと、主であるマチコさんの家に、4人のカウチサーファーが集っていることを話した。私とチボーは同じ日の同じ時間に到着、デリアとジャン=フランソワは、その2日後にやってきた。









Couchsurfers. いろいろなおもしろい旅の話


 


北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)Thibaultとよく歩きました


ThibaultのOeuf a la Florentine.うまい!!



札幌ビール博物館



狸小路のライブの前にポーズ!Miurão, 私とThibault. Miurãoについて、今度特別のポスト書きますね。



札幌Bier Gartenに新鮮な生ビールとジンギスカンをお楽しみ



ビール一杯200円三杯500円。私に似合う、美味しいと安い


おもしろい!昔な読み方ルービロポッサ;)



チボーは私が演奏する先々で写真やビデオを撮ってくれて、ここに滞在している間、私のとても良き相棒だった。

彼はまだ22歳だけど、とても日本語が上手で、日本の文化について深い知識がある。それでいて彼は、典型的なフランス人であることも忘れなかった。夕食にとても美味しいフランス料理を作り、素敵なワインを用意してくれた。

後でやって来たバルセロナ在住のデリアとは、あまり一緒に時間を過ごすことができなかった。なぜなら、いつも彼女は朝早く出かけて、私と顔を合わせるのは夜だけだったから。






朝。庭見えない。

 

別れ時間。またね!



彼女はとても感じのいい女性で、ある会話の中で、2011年に、自分が住んでいる町でジルベルト・ジルの素晴らしいショウを観たことを、私に話してくれた。ブラジル音楽が、実際に、海外で大勢のファンを持っていることを知るのは、感動的だ。

ジャン=フランソワは写真家で、かつグラフィック・デザインの教授で、音楽家でもある。私と同じように、身も心もリサイクルするために1年間の休みをとっていた。

6月まで旅をする予定で、日本に到着したのが1月。40日間車を借りて、千葉から青森までやってきて、そこから船で函館まで運ばれてきて、今、北海道にいる。

彼は雪道での車の運転の経験が豊富なので、車で北海道までやってきた。だけど彼は、東北の高速道路の料金が無料措置になっていることを知らなかったため、高速をまったく使わずに一般道を走って来てしまったという。

私は、出発する前にナカとトニーからこの大切な情報を受け取っていたので、高速を使ったけれど、東京から八戸まで1,700円で来ることができた。無料措置がないときと比べると、12,000円も助かった!



Jean-Françoisの車。雪すごかった!!

 全てはギターのために

ジャン=フランソワは、日本の古道具屋にすっかり魅了されていた。古道具屋を見かけるたびに立ち止まり、店の中を物色した。

お店めぐりをする中で、ジャンは、とある、ケースのないヴィンテージの、ヤマハのセミ・アコースティック・ギターに出会い、惚れ込んでしまった。ジャンの旅の次の目的地はベトナムで、彼の地に持って行かなければならなくなることを気に留めたにもかかわらず、彼は、そのギターを今にも買ってしまいそうな勢いだった。そして、自分がケースを探すまでギターを取っておいて欲しいと、店の人に頼んだ。

私はジャンに助け舟を出すことにした。インターネットで町にある楽器屋さんを探すと、次々と電話で問い合わせをした。しかしギターの取り置き期限が迫ってきてしまったので、ジャンはとりあえず、ギターを手に入れることになった。ケースのないギターは、零下4度の中でとても寒がっているんじゃないかと、心配しながら。

あるお店に入ったけれど、ケースはなかった。次のお店にも、なかった。そして遂に! 3軒目に訪ねたお店でようやくケースに出会うことができて、ジャンは心配をしなくても済むようになった。やっとギターは、寒さをしのぐものを纏うことができた。

寒かったのは、私たちも同じだ。暖まるために、有名な札幌の「味噌ラーメン」を食べることにした。ケースを探す手伝いをした御礼だといって、良き紳士・ジャン=フランソワはラーメン代を出てくれた。私はうれしかった。結果的に、自分のミッションを遂行することができたし、そのとき私は暖かい味噌ラーメンを食べていたから。教訓。“冒険の後のラーメンほど美味しいものはない”!。

そして私たちは温泉へ向った。何があった知りたい? それは次回で!

Jean-François、彼のYamaha vintageと私!ケースできた!!!それで、ラーメンいただきます!!!

写真のsubtittle: Sabrina Hellsh
text翻訳:麻生雅人
http://brisabrasileira.pokebras.jp/


sexta-feira, 30 de março de 2012

<はじめの一歩>



今日のブログでは、私の旅について、いちばん最初からお話したいと思う。

まず私は旅の計画を、友達であり、会社の経営者でもあるトニー・プラードとアダウベルト・アオキに話した。私が、日本列島を旅したい、という計画を。


私は、ふたりから、とてもビッグな贈り物を受け取った。それは、私の出発に欠けていたもの・・・旅をするための車、!!  受け取ったのは出発しなければならない1日前のことだった。なぜなら私は、今年で63回目を数える札幌の雪祭りを見たかったから! 



2月4日、東京を出発。それから、ナカさんの家がある群馬に寄り道。ナカさんは私の新しい友達で、手助けをしてくれる。彼は車に必要なものをいろいろ揃えてくれて、旅のルートや道路の情報などを教えてくれた。



 























   

 


 
 

らいよいよ、最初の目的地、青森県の八戸へ。運転したり、たくさん積もった雪の下で寝るために止まったり、18時間の旅。

私はこの旅に、最初から“条件”を課していた。出費を最小限に、という条件を。その中には、お金のかからない寝ぐらを手に入れるか、必要とあらば車の中で寝ることも、含まれている。







 そして、八戸では“カウチサーフィン”を使って、私はとても素敵な寝ぐらを見つけた。

<寝ぐらと友だち>

カウチサーフィンとは、世界中の旅行者たちによる(インターネットで繋がった)コミューンだ。世界中にいるこの共同体の一員たちは、泊まりたい人、もしくは、泊めてあげられる人として、書きこむことができる。

お金とは、一切、関わらない。誰かを泊めても、誰もお金を受け取らないし、誰かの家に泊まっても、誰もお金を払わない。これは、ひとつの友だちを作る方法であり、社会のネットワークだ。その場所で、人と人とがリアルに出会うのだ。

八戸で私を泊めてくれたのはジョー・ブラックフォード。イギリス人の彼は、八戸で10代の青少年たちに英語を教えている。彼の家は質素だけど、暖かなアパート(マンション)だった。





私は翌日すぐに北海道の道庁所在地である札幌へ出発したので、ジョーさんとは、あまり共に時間を過ごすことができなかった。でも、八戸に住んでもうすぐ2年になるという彼は、とても自由な考え方の人で、私を、まったく好きなようにさせてくれた。

彼の家に朝、私が着いたとき、彼は留守だったけど、私が入れるように鍵を置いておいてくれた。これはカウチサーフィンの、とてもイケてるところだ。コミュニティの中ではお互いが強い信頼で結ばれていて、多くの人が、彼と同じようにしている。

雪が降ったので、私は札幌まで車で行くことをあきらめた。そしてジョーの家に車を置いていくことができたのは、実に、経済的な面で幸運だった。日本の駐車場の料金はとても高いから。

北海道への道> 


6日、シルバー・フェリーの船に乗って、日本列島の4つの島のうち、一番北にある島へと出発した。7時間の旅を終えて、私は苫小牧に到着。さらにそこから2時間かけて、バスで札幌へと向った。そこで私を出迎えてくれたのは、アキと、彼女のお母さんのマチコさん。アキと知り合ったのも、カウチサーフィンを通じてのことだ。

私のほかに、もう3人のカウチサーファーがいた。チボーとデリアという2人のフランス人と、カナダのケベックから来たジャン=フランソワだ。北海道は、日本列島の4つの島の中で、(本州を除くと)もっとも大きい。日本のいちばん北、ロシア側にある。その中でも一番大きな街が札幌で、主都でもある。

みなさんが想像するとおり、寒い! だから彼らは、毎年、雪祭りを行うのだし、そしてこの祭が、ここまで、私と、私のカウチサーファーの仲間たちを連れてきたのだ。

ということで、次回の話題では彼らについて話したいと思う。乞う、ご期待!




quinta-feira, 16 de fevereiro de 2012

On the Road

Ola,
o blog sera atualizado em breve em outro endereco,  assim que estiver no ar posto aqui o novo endereco.
皆さん
こんにちわ、もうすぐほかのwebsiteでブログ書きますから、できたら お知らせします
よろしくううううう!!!!:)









Obrigada! ;)