terça-feira, 24 de abril de 2012

SUZUKIさんしてますか?






新しく始めた旅では、いつでもインターネットが使えるツールが共にあるので、新しい情報がたくさん入るようになった。全てが最高だ。

当初、このブログは、時勢に沿って順に出来事を紹介していこうと思っていたのだけど、実際には、次から次へといろいろな事件が起きる。だから制約を外して、感情を抑えないで、思ったことをその時々に伝えることにしようと思う。でももし、その方法がよくないと思ったら私に連絡してね!

以前の投稿を見てもらえばわかるように、私とホベルトは東京から宮城県の仙台、そして青森県の八戸まで行った。一週間、私たちは、共に良き相棒だった。すべての瞬間を確認し合いながら過ごし、私たちの青春時代の古い歌を思い出しては歌い、旅の途中に出くわした危険なことも、ふたりで分け合った。ホベルトは宮城県の唐桑町にある、鮪立(しびたち)という小さな村に私を連れて行った。そこで、鈴木さんご夫婦に出会う機会があった。彼らは、おそらく60年代に建てられたであろう独特な家に暮らしていて、どちらかといえば昔ながらのライフスタイルを維持している。そして、この彼らのスタイルや習慣は、この地区の、3月11日の地震によって起きた水や電気のない苦しい日々を助けた。


家は2階建てでとても居心地が良く、プライヴェートな場所と公共スペースとに分かれている。居間は、畳が敷いてあり、壁の色は暗めだけど、自分たちを包み込んでくれるような居心地のよさがある。壁は、古い日本の民藝品でいっぱいだった。

外から中が見えるようになっている、大きな木箱がひとつ、床に置かれてあった。鍵はそれぞれバナナくらいの大きさで、箱には、家の中のどの鍵なのかがわかるように記された表板が立てられていた。この箱は家族にとって鍵の置き場所なのだ。

居間の片側はすべてガラス窓の引き戸になっていて、中から、美しい庭が見えるようになっている。家族の猫が外を眺めながら、ゆったりとした時を過ごしていた。


100年以上の歴史を持つ鈴木さんの家では、地震と、続いて津波がやって来た後に、1階にある離れ部屋に大きな釜を設置した。釜というのは鉄で出来た大きな鍋で、薪で温め、水は山から汲んでくる。離れ部屋は、かつては鈴木さんの家族にとって、酒や味噌--大豆をペースト状に練ったもの--を作る作業部屋だった。酒や味噌を寝かしておく樽は、今は使われてはいない。でも鈴木さんは、毎日釜には火をかけるんだよ、と誇らしげに言った。


津波は家のすぐ近くまで来たものの、鈴木さんの家は、被害から免れることが出来た。だから、釜はご近所のためにとても役にたっている。大きな釜のおかげでコミュニティの人々は、お湯でお風呂に入ったり調理をすることが出来た。今回の悲劇だけでなく、それ以外にも2度の悲劇を乗り越えてきた。鈴木さんは、釜を分け合うということは単に人々を助けるというだけでなはなくて、この鮪立を作り、代々続いてきた自分の一族に対しても名誉なことであると語った。


この親切な夫婦に出会えてことは最高の出来事だった。ホベルトは、もう1人の友人であるイヴァーナ・フィゲレードに紹介されて、以前、ここを訪ねたことがあった。そのイヴァーナは私に、鈴木さん夫婦に泊めてもらうお礼に音楽を奏でてあげてね、と言っていた。もちろん! 喜んで! 囲炉裏を囲んで、とても居心地のいいひとときを過ごした。お茶やコーヒーを飲みながら、お話したり、歌ったりして、音楽や、鈴木さんの家族についての話を聞いた。これは
わたしたちにとって、大いなるリスペクトと共に、大切にしまっておきたいと思える瞬間だった。


話は弾んで、時間は飛ぶように過ぎていった。気がついたときにはもう夜で、この後私たちには、岩手県の県庁所在地である盛岡までの3時間の旅が控えていた。そして山道の街道で、深い雪の中、はじめて車のコントロールを失うアクシデントに見舞われた。正直、ホベルトと一緒で、助かった。2月にもこのような雪の中で運転をしたけれど、今回みたいな状況にはならなかった。上り坂で、車は反対車線に入ってしまい、元の車線に戻ることが出来なかった。VIDEO SUZUKI SANhttp://www.youtube.com/watch?v=4LWDAo3RI4Y&context=C41c0e2aADvjVQa1PpcFMfg6XHvgX72D6VPJScNbY6fNyzRFCtLCw=

やっとの思いで車を元の道に戻した私たちは、車を停めた。上り坂でこんな状態だったら、下り坂では車はもっと滑るに決まってる!一分も過ぎないうちに、向こう側から来た車が止まって、助け船を出してくれた。彼らの情報によると、この先の下り坂はそんなにきつくなく、ほとんどたいらだという。彼らは車を押すのを手伝ってくれた。ここから先は、すべて順調だった。車が動き出すと私たちはそのまま出発しなければならなかったので、車を押してくれたふたりの男性にお礼が言えなかった。盛岡に着いてから、私たちは彼らに乾杯した。

Nenhum comentário:

Postar um comentário